とおくにいくのでしばらく更新しなさそうです。
もし更新できそうになったらもう一つの方のブログを書きます。

ではではまた師走に。
2008.08.09 Sat l 本当の話 l COM(0) TB(0) l top ▲
3時である。
朝にだらだらと眠り続けると夜にだらだらと起きつづけることになる。
そんなことは数十年前から分かっているのにこの体たらく。
なんとも情けない。

しかしさて3時である。
おやつの時間である。
いや、おやつの時間ではない。
でもおやつを欲してしまう時間ではある。
食事をしてから6時間以上経っているので、朝食と昼食の間よりも長い時間が経ってしまっているということになる。
おなかが食物を摂取したいと主張するのは妥当なようにも思える。
それは果たして真実なのかと考えてみると、真実ではないということは容易に分かる。
まず夕食から何をしたかということだが、だらだらと布団の上に横たわって、漫画を眺めていただけである。
そして食物を摂取したとしてその後なにをするかというと、ただひたすらに朝食まで惰眠を貪るのみである。
はっきり言って食べるだけムダである。
それどころか脂肪が増殖してしまうというデメリットをこうむることになる。
これは甚だよろしくない。
結果わたしは空腹と戦うことになり、さらに眠りから遠ざかるのだ。

そうなった私がしたことは、久しぶりに、極々久しぶりに、FC2ブログを更新するということだった。
今の自分の状況をだらだらと書き連ねていく。
そうすると今の自分起きていることのバカらしさを身体が感じ始める。
そうしてようやく眠りが足元から立ち込め始めたのでした。

それでは、おやすみなさいまし。
2008.07.20 Sun l 本当の話 l COM(0) TB(0) l top ▲
決めた。
札幌・仙台・大阪。
旅公演に参加させてもらいます。
色んな人にごめんなさい。
いろんな人にありがとうございます。
10年越しの願いが叶います。

彼女のために旅公演を諦めて何ヶ月か経ってからのオファー。
なぜにこのタイミングで来るかな。もっと早かったらよかったのに。

でも
就職したらもう旅公演はできません。
劇団には旅公演のチャンスは来ると思います。
でも僕はそのチャンスに大阪待機をすることになると思います。
僕には最初で最後のチャンスです。

頑張ります。
2008.07.10 Thu l 未分類 l COM(1) TB(0) l top ▲
芝居。
気づけば10年くらい続けている。
芝居とのかかわり方は、その時々、色々と変わっている。
自分の芝居環境や生活環境によっていつも悩みながら、気づけば10年くらい続けている。

ずっと旅公演をしたいと思っていた。
でもできなかった。
去年一年悩んで、結局役者業を休むことにした。

そしたら色々な方から客演の話をいただいた。
そして
旅公演の話が来た。
僕が足を踏み入れたことのない土地で芝居をすることができる。
本州から離れて芝居をすることができる。
他府県の劇団の方から客演依頼をいただけるなんて、夢のような話だ。
夢見ていた話だ。
でもどうして今なんだろう。

去年一年間芝居との付き合い方を悩んで、役者業を休んでしっかり生活基盤を安定させようと決めた。そしたらそんな話が来た。

生活基盤を安定させたいのは、大切な人を大切にしたいから。
苦しいタイミングで嬉しい話が来た。
すごく悩む。

神様は微妙にいじわるだと思った事件でした。
(現在進行中)

何かコメントをもらえると嬉しいです。
2008.07.08 Tue l 本当の話 l COM(0) TB(0) l top ▲
友達が「因みに」と話を切り出した時におじさんのことを思い出した。

僕のおじさんは何かの話をしている時にやたらと『因みに』を使いたがる人だった。そこで家族の会話が途切れてしまう。何度も聞いたことのあるうんちく話だ。みんながうんざりしていた。でも、子供の頃はおじさんの『因みに』が楽しくて仕方なかった。
「因みに、このりんごの実を作るために、ミツバチが花粉を運んでくれているんだぞ。たけしがおいしいりんごをいっぱい食べることができるのはミツバチのお陰なんだよ」
「因みに、和牛と国産牛は、どっちも日本の牛っぽく聞こえるけど、外国で育った牛でも日本で肉にされれば国産牛なんだ。だから日本のことは殆ど何も知らない牛でも国産って言われているんだよ」
食卓を囲みながら、おじさんは色々な話を聞かせてくれた。僕はごはんそっちのけでおじさんに質問して、よく母さんに叱られていた。
おじさんは「また後で話してやるよ」と言ったが、たいてい食事が終わるとそそくさと家を出て行った。
おじさんが帰った後は、母さんがいつも父さんに謝っていたのを覚えている。

あの頃、おじさんが何をしにきていたのか知らなかったのは、僕にとってもおじさんにとっても幸せだったと思う。僕はおじさんが来たときに嫌な思いをしなくて済んだし、そのお陰でおじさんにも居場所があった。でも今は僕の家におじさんの居場所はない。
父さんの収入は一般的な人のそれよりはどうやら少し多いようだった。でも母さんは身体が弱くてパートに出ることができなかったし、おじさんが来るたびに工面しているお金も、積み上げればけっこうな額だったようで、暮らしぶりは決して楽ではなかった。僕にもその影響はやってきた。
「大学に行きたい」と言った僕に対して、両親は申し訳なさそうな顔をした。
「大学に行きたいと思うのは良いことだと思う。たけしが自分で決めてくれたことも嬉しいと思う。でも家にはあまりお金がないんだ」
僕は黙って話を聞いていた。
「大学には行かせてやりたいと思う。でも私学にやるお金はないし、地方に出ても仕送りもそんなにしてやれない。大学までの予備校のお金を出してやることもできない。それでも頑張れるか?」
「頑張れる」
と言った。そう言うしかなかった。両親は嬉しそうに笑っていた。
当然、周りのヤツはそんなに苦労してまで大学に行ってないヤツが殆どだということを知っていた。近所の大学生がプラプラと遊んでいることを知っていた。でも父さんがプラプラと遊んでいないことを知っているし、うちの両親が二人とも大学を出ていないことも知っている。母さんが病院に行っているお金だって、けっこうかかっているみたいだった。二人にお金を出してほしいと強く言うことはできなかった。
予備校のお金は自分で出そうと思うとけっこうキツイ。予備校に行くってことは、働く時間も削られるっていうことだからだ。僕は普段バイトをしつつ家に帰ってから自分で勉強をした。そして学校の夏休みや冬休みには貯まったお金で何とか予備校に通いつつバイトもした。短期の講習だけにバイト代を充てると少しお金はあまったけど、大学に入ってからのことも考えなくてはいけない。そのお金は使わないで貯金をした。

僕がそういう生活をしている頃も、おじさんはときどきやってきては晩御飯を食べて去っていった。
おじさんは昔と変わらず親しげに話しかけてくるのだけど、僕はその頃からおじさんの姿を見るとイライラするようになった。おじさんが直接僕に何かをしたわけじゃないし、おじさんにキツク当たってしまうと、後で自分ですごく落ち込んでしまう。何かと言い訳をして、おじさんがいる時には部屋から出ないようになった。
そうして味方を失ったおじさんは、うちに訪ねてくることが少なくなっていった。それはおじさんとの接し方が分からなくなってしまっていた僕にとっては都合が良いことだった。

僕が無事に大学に入ってからは、入学直後に一度顔を出したきりだった。その頃には僕は大学生活が楽しくて、おじさんが顔を見せなくなっていたことに全く気づいていなかった。
そして大学3年の冬、ばあちゃんから連絡があった。それはおじさんの通夜のお知らせだった。

旅行中に足を滑らせて転落死してしまったらしい。身許の確認をするためにと福井まで出かけて行ったばあちゃんは、顔を見せてもらえなかったと言っていた。あれじゃあ確認しに行った意味があるのか分からないと言っていた。葬式に参列した僕も、おじさんの顔を見ることはなかった。

通夜の夜中、棺に入ったおじさんと向かい合いながら、おじさんの顔が思い浮かばないことに気づいて背筋が凍った。
僕ですら顔を思い出せないなんて。
ばあちゃんが最近病気がちになって、当人であるばあちゃんよりもおじさんが弱っているという話だけは聞いていた。
ばあちゃんに置いていかれたら、自分の居場所がなくなってしまうことを恐れていたのじゃないだろうか。
居場所を失ったまま毎日を過ごさなくてはならないなんて恐ろしすぎる。
崖から日本海を眺めるおじさんの姿が思い浮かんだ。

僕はその日からよく喋るようになった。
常に顔色を伺って、1分以上の沈黙が続かないように、みんなの話題が途切れないように必死で笑顔で話し続ける。
家に帰ると本当にぐったりして、それでも学校に行って、バイトに行って、そのどちらでも居場所を作ろうと必死になっていた。
そして僕は倒れた。
病院に運ばれて即入院させられた。病気が何かは知らない。
誰とも口をきかずに壁をみつめて過ごす生活を二週間送った。
張り詰めていた何かがほぐれて、でも夜になると不安で仕方ない生活だった。

ちょうど二週間経ったあと、友達がやってきた。
僕はどう接したら良いか分からなくなっていた。
どう接したら良いか、何ヶ月も前から分からなくなってしまっていたことに気づいた。
僕は無言のままおどおどして友達?を見つめていた。
友達はりんごを差し出した。
「入院のお見舞いの定番と言えばりんごかなぁと思って」
「・・・」
「ちなみに日本のりんごの半分はオレの地元で作られています」
僕は何と言葉を発すれば良いのか分からなかった。
友達はまっすぐに僕を見ていた。
「ごめんな」
と、ともだちが言った。
「ゆっくりで良いから」
「・・・」
「無理させてたな」
友達は立ち上がって「また来るよ」と言った。
「ちなみに・・・」
「ん?」
「ちなみにりんごの栽培のためにミツバチを飼ってるってホント?」
「おう。りんごはほとんどの品種が自花受粉しないからな」
「そうなんだ・・・」
「おう」
友達は上着を持って立ち上がり、身体をドアに向けたまま固まっていた。
「ごめん」
引き止めてしまったことを詫びた。
「謝るなって」
友達は言った。
「悪いな。今日はもう帰る。誰かが休んだせいでバイトが忙しくてな」
「うん」
「絶対また来るから」
「うん」
「でもお前が帰って来いよ。みんな待ってるから」
そう言うとカバンからノートを取り出して投げた。
「じゃあまた明日」
そう言うと振り返らずにまっすぐに部屋を出て行った。
僕は残されたノートを開いてぺらぺらと捲った。最初の数ページだけが埋まったノート。文字の埋まった数ページの最後には僕の名前が書いてあった。先頭に戻ると、汚い字で『交換ノート』と書いてあった。
思いついたことが恥ずかしくてわざと汚い字で書いたのだと分かって笑った。自然に笑えた。ほっとして笑えた。笑いながらぽろぽろと涙が出た。

僕はしばらくして退院した。
退院してからしばらくも僕はほとんど喋れなくなっていた。
そのことを友達に言ってみたら、
「そうか?お前って前からあんまり喋らなくなかった?」
と言われた。
むかついたけど何故か嬉しかった。

おじさんに会えたら、僕らは何か難しく考えすぎてたみたいだよってことを話したいと思う。
2008.07.04 Fri l 創り話 l COM(0) TB(0) l top ▲